さゆりをもっと知りたい?

元嬢の「 さゆり 」が自由気ままに色々と書いています

鳥と蛇と豚

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椎名林檎さんの楽曲で知った

仏教において三毒と言われている

克服すべき煩悩の3つ

「貪(とん)・瞋(しん)・癡(ち)」

またの名を

「鳥・蛇・豚」

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・貪(とん)…必要以上に何かを求める欲望。

    鶏が象徴する。
・瞋(しん)…怒りの心。蛇が象徴する。
・癡(ち)…真理に対する無知。豚が象徴する。

 

たぶん私がこうやってブログを書く行為は

まさしく三毒なんじゃないかと思った。

 

必要以上に知識を求めてインプットをする貪。

それを怒りとは違う形であれ自分の意見を

書き綴ってアウトプットする瞋。

そして書いている内容をさも良いことを

言っているかのようにのたまっている癡。

 

滑稽なまでに煩悩の塊だわ。

お坊さんもビックリするほど悟りから程遠い…

 

私は物欲が薄いし

食べ物に対しても欲求が薄い。

だから私は人よりも欲求が少ない!!

なんて大きな勘違いをしていた。

きっと知識欲は人よりも強い。

そして知識を得たいということは

尊いことだとさえ思っていた。

つまり必要以上に何かを求める

貪そのものだった。

友人や大切な誰かに何か相談をされたり

その人達がそれは違うんじゃないかな?

ということをしている時には

なだめ諭そうと親身になっているつもりが

正に瞋の状態。

つまりそれは癡にも繋がっていて

固定概念や色眼鏡で物事を自分の物差しで計り

歪んだ状態で見てしまっているからこそ

我が身の正論を振りかざし

さも私が言うことが正義と言わんばかりの

親身という包装を施した

歪んだ固定概念という中身を

押し付けているに行為に過ぎない。

いやー無知とは恐ろしいもの也

 

これからは欲まみれの人を見たら鳥だと思おう

怒っている人がいたら蛇だと思おう

正義を振りかざす人がいたら豚だと思おう

動物に例えれば何だか滑稽で可愛く見えてくるかもしれないじゃない?笑

 

私はどれかの宗教に入りたいとは思わないけど

宗教とは人間の考え出した悩み抜いた生きる希望となった証だとは思っていて、どの宗教にも深く考えさせてくれる教えは必ずあるなって。

私が今言っているところの宗教とは、主にキリスト教と仏教のみを指しているんだけどね。

 

今回は仏教の中でも人が克服しなければならないと言われている三毒(3つの煩悩)について書いたけど、私たちは決して欲求や煩悩から逃れられない。

脳を麻痺させて愛の言葉を囁いて

脳を麻痺させて暴飲暴食を繰り返し

脳を麻痺させて煩悩と向き合っているフリをする。

そうやって出来上がった私の個性は

自分でも面白いと思える人格になったし

私の人生はとても素晴らしいと思える。

今日ならそう思える。

 

ただ

倫理観はぶっ飛んでいるし

妄想や想像ばかりに思考を使っているし

人間が作り出した社会の仕組みやルールには

私は一生馴染めないんだろうなぁ。

って常に強く思っているし

30歳を迎えた時から死ぬまでの暇つぶし

だと思いながら毎日を生きているけど

それでも私の個性はもう誰もコピー出来ない

唯一無二のものになっている。

貴方から見える私は

私自身の選択や思考の積み重ねによって

出来上がった器とある精神部分の中の一面

を見ているに過ぎない。

 

誰にも見せたことの無い部分がある。

っていうのはセクシーだと思い込んでるのよね

 

 

いつも通り着地点を見失ってしまったけど

 

禁断の果実を頬張った日から

私たちは毒に侵され続けて

歴史を紡いでいるのだね

 

 

 

さゆり